Rubato。
「ここへきてよかった」そう思っていただけるだけで
ご挨拶
ボランティア団体『Rubato。』設立にあたって
私は富士宮市で温かな家庭で愛情深く育った一人の女性です。
進学を機に上京、短大卒業後にそのまま東京で就職し31年間勤めた民間企業を昨年退職しましたが、新型コロナウイルスのパンデミックで生活が一変しました。
勤務先で出社制限がかかり2週間の在宅勤務が命じられたため、実家に戻りテレワークとなりましたが2週間で収まることはなく、また兄がコロナ罹患により他界、私が乳癌に罹患し、母が脳出血を克服後に脳腫瘍が見つかり、2024年5月より夫と手を携え母の介護をしながら暮らしておりました。
娘として精一杯の努めを尽くし、母との残された時間の中で介護できる幸せを噛みしめておりましたが、2025年7月24日に母は安らかに天命を全う致しました。
そうした生活の中でも、悲しみに暮れることなく、愛すべき家族と「笑顔」に囲まれて日々を過ごせることに心から感謝しております。
日本の充実した医療・介護制度とそれを支えている医療・介護従事者の皆さまの素晴らしさを知り、そして昨日と同じ幸せを今日も噛み締めることが出来ています。
この感謝の気持ちから、私に何か出来ないか? 私に出来ることは何か? 世の中の役にどうしたら立てるか?と考えるようになりました。
兄が他界し、15年前に父を見送った母を一人にはできず、生活拠点を故郷である富士宮市に移しました。
母の介護は突然始まり、準備や学びも不十分でその時がやってきて、見よう見まねで合っているかもわからず手探りでした。
お医者さまからはお薬の副作用で感染症にならないよう清潔を保つように言われました。
口腔ケア、排せつについて清潔を保つ方法を看護師さんから教えていただきました。
実際に家でやってみるとうまく行かない時もあり、こういう時はどうすればいいんだろうと頭を抱えておりました。
同僚や友人と介護の話になると『大変ね~』で終わってしまい違和感を覚えました。
違う、、、私は母のケアができることが幸せで大変だと感じたことはありません。
自分のすべきことの整理、母の変わりゆく病状の変化を受け入れる。この2点が一筋縄では行きませんでした。
そして介護は怖くない。助けてくださる機関がたくさんある。
不安だったのは情報が少なかったからなのだ、この気持ちを共有できなかったからなのだと気づき、私はこの経験で得た知識や情報を同じ環境の方々へ役立てたいと思うようになりました。
ケアラーズカフェに取り組もう。ケアラーのみなさんの日々の疑問点の解消と不安や迷いを吐き出す場所があれば一緒に乗り越えられる。ケアラーズカフェを作ろう!と決心しました。
昨年4月中旬ころから訪問看護にいらしてくださった方などにお話しすると『いいですね!ぜひご一緒に』とお話がとんとん拍子に進み、医療・介護従事者を含むボランティアスタッフがあっという間に集まりました。
母とは頻繁に音楽会へ出掛けておりました。思うように動けなくなった母に家で少しでも楽しんでほしいと願い、35年ぶりにピアノのレッスンを再開しました。
母は静岡がんセンターの緩和ケア病棟におりました。昨年の5月、母の誕生日にその病棟でシューマン=リストの『献呈』を演奏させていただきました。
ボランティア団体を設立するにあたり名称を考えた時、ふと『ここはルバートね。ゆったりと、やりすぎかなと思うくらいに』とおっしゃるピアノの先生の言葉を思い出しました。ルバートは音楽用語で「自由なテンポの揺れ」を意味します。ケアラーのみなさまの生活リズムにも全体の流れを維持しながら一時的に緩めてゆったりするルバートがありますようにと願いこの名称にしました。
私にとって母を介護できた時間はかけがえのない大切な宝物です。
余命宣告は信じたくない、やり切れない最も辛いことでした。しかし心のどこかで死んでしまうのかと思ったことで、母の身体と心のために良いと思うことは全て迷わずにすぐに取り入れました。先送りにしなかったことで私は後悔がありません。
遺されたものはその後も生きなければなりません。この後悔があると介護してきた家族の心に負担がかかります。支えている方が後悔なく安心して怖がらず介護をやり切るでも無理はしない。これらのバランスが乗り切るコツなのだと思います。
踏ん張っている介護中の方々にほんの少しでも介護経験者としてお役に立つことができたら、またRubato。にいらして下さった方が『ここに来てよかった』と思っていただければ私たちは幸せです。
令和8年1月21日
Rubato。代表 兜森慶子